国鉄トフ20700形貨車
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国鉄ト24000形貨車
基本情報
車種
無蓋車
運用者鉄道院
鉄道省
所有者鉄道院
鉄道省
製造所日本車輌製造、鉄道院工場他
製造年1917年(大正6年)
製造数6,993両
消滅1928年(昭和3年)**
主要諸元
車体色
軌間1,067 mm
全長7,830 mm
全幅2,452 mm
荷重15 t
実容積35.0 m3
自重7.6 t - 7.9 t
換算両数 積車1.8
換算両数 空車0.8
走り装置シュー式
軸距3,962 mm、3,900 mm
最高速度65 km/h
備考*上記寸法は一例である
**称号規程改正年
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国鉄ト24000形貨車(こくてつト24000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道省に在籍した無蓋貨車である。
概要

1917年(大正6年)から1926年(大正15年)にかけて日本車輌製造本店・支店(天野工場)等の民間工場および鉄道院工場で製造された、15 t 積み二軸無蓋車で、製造数は6,993両(ト24000 - ト30992)である。1928年(昭和3年)の称号規程改正により、構造が少し違う初期の物(ト24000 - ト29189)と改良型(ト29190 - ト30497・ト34000 - ト34469)を分け、トム5000形およびトム16000形(トム16000 - トム17773[1])に改称された[2]

車体寸法は、一応前級ト21600形(後のトム1形)と同様だが設計にメートル法を採用したため、荷台の内寸は長さ6,930 mm、幅2,200 mm、側板の高さ1,000 mm、妻板の高さ1,280 mmであり、床面積は15.2 m2、容積は35.0m3(ト21600=トム1形は長さ6,928 mm×幅2,184 mm×側面高さ1,016 mm、床面積15.1m2)でわずかに違いが生じたが、荷重などはすべて同一で運用上の違いはない。側板の構造もト21600形と同様で、車体中央部に幅1,628mmの観音開き式の鋼製扉を設け、その両側は木製5枚側のうち下部の3枚分をあおり戸とし、上部の2枚分は固定式としたものである。俗に「観音トム」と呼ばれるグループの一つで、床面も木製である。ト21600形との最大の相違点は、車軸がト21600形では短軸であるのに対し、本形式では長軸とされている点である[3]

1924年(大正13年)度以降の製造車は、あおり戸上部の固定側板が取り外し可能となっており、1928年の改番時にトム16000形としてトム5000形となった前期製造車と区別された[4]。また、製造当初の連結器は、ねじ式でバッファを備えていたが、1925年(大正14年)に実施された自動連結器への一斉交換に対応するため、その前後(1926年前期製のト29917(トム16723)までとそれ以降)で台枠の構造が大きく異なっており、ねじ式連結器およびバッファに対応した台枠は側梁が太いが、後期形の自動連結器に対応した台枠は側梁に代わって中梁を強化し、無蓋車では初めて中梁の方が太くなった[4]

その他の主要諸元は、全長7,830 mm、全幅2,452 mm、自重7.6 t - 7.9 tである。下回りは軸距3,962 mm/3,900 mm(1926年中期以降製造車[5])で、軸ばね受けはベースとなったトム1形と共に当初はリンク式で製造されていたが、リンク装置の担いバネの両端の目玉部分に損傷が頻発したため旧式のシュー式に戻された[6]最高運転速度は65 km/hである。
1928年改番後の状況

前述のように、本形式は1928年(昭和3年)の称号規程改正により、トム5000形とトム16000形に区分された。トム5000形となったのは、トフ250形トフ300形ワム3500形の改造編入車を含めて5,333両で、番号は二車現存車の書き換えと、青梅電気鉄道買収車20両が存在するため、トム5000 - トム10346となっている[3]。トム16000形については、トム1形改番車を含めて1,785両が同形式となっており、二車現存車の書き換えが7両存在するため、番号はトム16000 - トム17792となっている[4]

両形式とも、汎用無蓋車として全国で使用されたが、独特の側板構造は、ばら積み貨物荷役には便利だったものの、材木等の荷役には不便であったため、以降の無蓋車はすべて総あおり戸方式となった。

1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて、陸軍の要請によりトム5000形1,620両が中国に送られたが、その後の消息は不明である。内訳は北支方面800両(標準軌改軌)、中支方面660両(標準軌に改軌)、山西方面160両(1,000 mm軌間に改軌)である。なお、これらの数字は無蓋車のまま送られたもので、国鉄工場で長物車のチム5000形[7]に改造された250両(北支200両・中支50両)は含まれていない[8]

淘汰は昭和30年代に本格的に進み、トム5000形は1970年(昭和45年)度、トム16000形は1962年(昭和37年)度に姿を消したが、書類上は前者は1985年(昭和60年)度、後者は1968年(昭和43年)度まで在籍していた[9]
形式間改造
トフ250形の改造編入

トフ250形全車15両(トフ250 - トフ264)が、1936年(昭和11年)度に車掌室を撤去して、トム5000形に編入された。なお、このグループは、もともとがト21600形(トム1形)の改造であるため、トム5000形であるが短軸である。これによってトフ250形は形式消滅となった[10]
トフ300形の改造編入

トフ300形全車150両(トフ300 - トフ449)が、車掌車や有蓋緩急車の増備により、1936年(昭和11年)度に車掌室を撤去して、トム5000形に編入された。これによってトフ300形は形式消滅となった[10]
リ2500形への改造詳細は「国鉄リ2500形貨車」を参照

リ2500形は、1952年(昭和27年)にトム5000形およびトム16000形から改造された、雪捨用の10 t 積み土運車である。トム1形の改造車を含めて150両(リ2500 - リ2649)が製作された。あおり戸と妻板は低くされ、中央部にあった開き戸はあおり戸に変更されている。それに伴い、最大高は1,695mmとなっている。1960年(昭和35年)までに全車が廃車された。
控車・長物車への改造

中国に送られたチム5000形以外には、トム16000形は、1954年(昭和29年)から航送控車ヒ500形入換用控車ヒ600形に改造されたほか、1957年(昭和32年)から1962年(昭和37年)にかけて、国鉄工場で長物車チ1000形に改造(部品流用)されている。
譲渡

私鉄譲渡は極めて大量であり、ここでは文献上でわかる限りを記す。

1948年(昭和23年)4月に、トム5000形2両(トム5780, トム9502)が南部鉄道に譲渡され、トム100形(トム100, トム101)となった。両車とも、1966年(昭和41年)2月に廃車となっている。

1949年(昭和24年)に、トム5000形8両が江若鉄道に譲渡されてトム300形(トム300-トム307)となっている。そのうちトム306は、1969年の廃止まで車籍を有した。また、3両(トム300, トム301, トム305)は、1955年(昭和30年)に廃車となり、1957年(昭和32年)4月に三岐鉄道に譲渡のうえ、同社のトム10形(トム10 - トム12)となったが、トム10が1965年(昭和40年)12月、トム11, トム12が1966年(昭和41年)9月に廃車となった。

1949年(昭和24年)1月8日に、トム5000形1両(トム7575)が三井芦別鉄道に譲渡され、トム1形(トム4)となった

1949年(昭和24年)4月26日に、トム5000形8両およびトム13500形各1両(トム5591, トム8049, トム8321, トム7623, トム8462, トム7851, トム5529, トム6377, トム13557)が三菱鉱業美唄鉄道に譲渡され、トム5000形(トム5001 - トム5008)、トム13500形(トム13501)となった。


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